【自分の足で歩こう】
生徒たちが今よりも成長し、自発性を持つことが必要だ。それが、黒板に書いた「自分の足で歩こう」の意味だった。
「先生に言われてやる練習、やらされている音楽じゃ駄目だよ。そんなも音楽ではありません。
ここから先は、自分から音楽を作らないと絶対にいいものはできませんよ。
生き方も同じ。誰かに言われて学校に来る、誰かに言われて勉強する、
誰かに言われて大学に進む――そんなの自分の人生ではないでしょ?
自分で決めて、自分から人生を作っていくっていうことを、音楽を通して学んで欲しいんです。」
【人間関係の革命】
2001年のことだった。当時は2度の全日本吹奏楽コンクール出場経験があり、
九州大会には毎年出場していた玉女が、その年は県大会止まりだった。
また、マーチングも九州大会で代表を逃し、全国大会出場はならなかった。
その数年前から、先生は時代の変化、生徒たちの変化に気づいていた。
先生自身は上下関係の厳しい部活動を経験してきたため、玉女でも3年生が部内ヒエラルキーの最上位に位置する体制にしていた。
3年生は当然のように下級生を厳しく叱ったり、あれこれ命じたりしていた。他校でもそれが普通だった。
しかし、その年のコンクールがきっかけとなって、もう生徒たちが厳しい上下関係の部活に適応できなくなっていることをはっきり悟った。
2001年のコンクールの演奏は決して悪くはなかった。まわりからは「あの演奏でなんで落ちたんだろうね。」とも言われた。
先生は思った。
「おそらく音楽じゃなくて、部内の人間関係のあり方を審査委員に見透かされたから、
落とされたんやな。部活のシステムに対して駄目出しを食らったってことやね」
演奏にミスは少なかった。1,2年生のメンバーもしっかり吹いていた。
だから、音楽としては一応成立している。けれど、それは表現のための演奏ではない。3年生に怒られないための演奏だった。
「このシステムを変えない限り、いい部活はできんし、いい演奏もできないだろう」
先生は一念発起し、鶴の一声で部内のヒエラルキーを逆転させた。
つまり、3年生が一番動き回って下級生たちの面倒を見、1年生をもっとも優遇して楽できるように変えたのだ。