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舟を編む

三浦しをんさんの「舟を編む」を読みました。ちょうど、テレビでもやっていたので思わず、読み返しました。やっぱり、面白いですね。馬締さんは変った方なので、おつきあいしたいとは思わないですが、一生懸命な姿に周りがフォローするんですよね。それにしても、辞書「大渡海」を刊行するのには13年かかったんですね。

少し紹介したいと思います。

■辞書に載せる言葉とは

 既存の辞書に必ず載っている単語を探し、該当する用例採集カード二重線をつける。これらは基本中の言葉だ。小型辞書に載っている単語には、一重丸。中型辞書に載っている単語には、三角。こうしてカードに印を付けておけば、その単語を『大渡海』に採用すべきか否か、判断する目安となる。二重丸のついた単語は、よっぽどの理由がないかぎり、見出し語からは外すことはできないだろう。三角のついた単語は、場合によっては、『大渡海』では採用しなくても良さそうだ、といった具合に。

 もちろん、既存の辞書から取った統計は、あくまで参考だ。最終的には、『大渡海』の編集方針に基づき、独自の判断で見出し語の選定をする。古語、新語、外来語、専門用語など、あらゆる言葉を集め、取捨選択していく。

なるほど、まずは標準的な言葉を探すんですね。面白いですね。

 

■辞書作り

まずは用例採集カードをもとに、収録する見出し語(項目)を選定する。次に編集方針を固め、「執筆要領」をつくなければならない。

 辞書を作るのに、50人以上に原稿を依頼するのはざらだ。各人が好き勝手に書いたら、文体も統一できないし、いつまでたっても一冊にまとまらない。そこで、執筆要領の出番となる。ひとつの項目について「どんな情報を、何文字で、どういう体裁で」盛り込むべきか、具体例を挙げて示したものだ。執筆要領は通常、辞書編集部が作成する。

 執筆要領に則り、編集部員が「見本原稿」を書く。これは、編集責任者である松本先生と相談しながら、ということになるだろう。実際に原稿を書いてみて、執筆要領に不具合や抜け落ちている観点がないか確認する。

 もちろん、見本原稿が作られるのは、収録される予定見出しのほんの一部にすぎない。たいてい、さして重要ではない小さな項目だが、見本の役目を果たすためには、多様な要素が含まれていなければならない。地名、人名、数字の入った項目、図版を入れる項目など、さまざまな品詞から選ぶ。編集部内で見本原稿を作成、検討することで、辞書の方向性と質に磨きをかけていく。

 見本原稿を書けば、字の大きさや組みかたやページのデザインをおおまかに決められるし、全体のページ数や収録できる見出し語の数や価格もだいたい算出できる。

 ここまで来てようやく、原稿依頼をするのが普通だ。

辞書作りの手順があるんですね。びっくりです。

 

■品質保証

辞書は綺麗事だけでできているのではない。商品であるからには、品質を保証するネームバリューは絶対に必要だ。監修者として松本先生の名前を表紙に載せるのは、品質保証の一例だ。松本先生の場合、実際に『大渡海』の編纂に深く関わっているが、監修者の中には名義を貸すだけで、実務はほとんどなにもしないひともあるほどだった。

 原稿の執筆者も、専門分野ごとに信頼のおける学者を厳選する。執筆者の名は辞書の巻末に列挙されるので、見るひとが見れば、人選が的確かどうかわかってしまうからだ。執筆者の顔ぶれから、辞書の精度とセンスをある程度測ることができる。

ありますよね。この先生にお願いすれば間違いないというネームバリュー。

少し角度は違うのですが、ちっぽけな会社のネームバリューだけでは、行政は動いてくれないですよね。

 

辞書は国の威信で作るべきか?

松:「オックスフォード英語大辞典」や「康熙辞典」を例に挙げるまでもなく、海外では自国語の辞書を、国王の勅許で設立された大学や、ときの権力者が主導して編纂することがおおいです。つまり、編纂には公のお金が投入される

馬:資金難にあえぐ我々からすれば、うらやましいことです。

松:本当に。なぜ、公金を使って辞書を編むのだと思いますか?

馬:自国語の辞書の編纂は、国家の威信をかけてされるべきだ、という考えがあるからではないですか。言語は民族のアイデンティティのひとつであり、国をまとめるためには、ある程度、言語の統一と掌握が必要だからでしょう。

松:そのとおりです。翻って日本では、公的機関が主導して編んだ国語辞書は、皆無です。

馬:政府や官公庁は、文化に対する感度が鈍い部分がありますからね。

松:わたしも若いことは、資金がもう少し潤沢にあればと思うことがありました。しかしいまは、これでよかったのだと考えています。

馬:どういうことですか?

松:公金が投入されれば、内容に口出しされる可能性もないとは言えないでしょう。また、国家の威信をかけるからこそ、生きた想いを伝えるツールとしてではなく、権威づけと支配の道具として、言葉が位置づけられてしまうおそれもある

馬:言葉とは、言葉を扱う辞書とは、個人と権力、内的自由と公的支配の狭間という、常に危うい場所に存在するのですね

含蓄のある言葉ですね。馬締さんを取り巻く人間模様、恋愛、先生との別れ等面白いこと間違いありませんので、よかったら是非読んで下さい。

 

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