額賀澪さんの「タスキ彼方」を読みました。戦時中の箱根駅伝の中止、再開そして第100回箱根駅伝大会の小説です。わくわく、ドキドキではなく、戦中でのランナー関東学連の奮闘ぶりなどを描かれています。小説に出てくるランナーの言葉などを少しだけ紹介します。
■シューズ
ハリヤマ足袋で地面を踏むしめ、跳ねるように中継所を飛び出していく。
日本は足袋で駅伝を走っていたんですね。道もアスファルト舗装も当然されておらず、小石がいっぱいで、足の裏は血だらけだったとか・・・。
■日本の情勢
〇昭和16年11月
石油の禁輸を始めとしたアメリカからの経済制裁が目に見えて感じられるようになったのは、いつだったか。肉屋に肉が並ばない日があったり、八百屋に行っても碌な野菜が手に入らなくなったりしたのは、いったい何月かのことだろう。蚕から油を搾り、搾りカスでうどんを作る……。
ハワイ・オアフ島真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を、日本海軍の機動部隊が奇襲攻撃した。その大戦果に、多くの日本人が歓喜した。
<略>
アメリカとの戦争が始まった。貞勝がそれを実感したのは、真珠湾攻撃大成功の知らせではなく、それに押し流されるように新聞やラジオから天気予報が消えたことに気づいた時だった。ああ、そうか、気象情報は軍事機密なのか。関東学連の本部で新聞を広げながら、感心した。
〇昭和17年7月
アメリカによる経済制裁が厳しくなりだした頃から、街から少しずつ金属が消えた。虎ノ門や桜田門の官庁の門扉ですら取り払われた。鍋や仏具も供出された。陸上選手が履くスパイクのほんのわずかな金属も、例外ではない。
■出陣学徒壮行会
外苑競技場のグラウンドに足を踏み入れた瞬間を、今でも鮮明に覚えている。三八式歩兵銃を手に、足にゲートルを巻き、雨の中を行進した。先頭は東大で、白い校旗が風に揺れていた。
客席には大勢の女学生がいた。全ての席が彼女たちで埋まっているのかと思ったくらい、大勢詰めかけていた。彼女らを俺達が守るんだ。喜一郎を含め、大勢の学生がそう思ったはずだ。
そうか、あの中に、この子もいたのか。
「学徒出陣は当然のことと思ってました。答辞の言葉に感動したし、万歳、万歳って、皆さんを戦地へ送り出しました。終わりの際には、類家さんはもう帰ってこないんだなと思ったらとても悲しくて、でも、泣くのは良くない、これは誇らしいことなんだからと思って、我慢したのを覚えています。
戦争が終わってから、つくづく思うようになりました。私達が類家さんたちを戦争に送り出すために、あそこに集められたんだって。類家さんたちを焚きつけてさっさと兵隊に行かせるための燃料にされたんだって。今思えば、類家さん達が戦争に行ってしまうのは嫌だったはずなのに、みんな神様みたいに思ってたけど、私は知ってはずなの。みんな、うちで美味しそうにご飯を食べていた、ただの人だってこと」
戦地に行くのが当たり前。何も言えなかった若人たち。本当に大変な時期を過ごされたんですね。今日の情勢も、日本がいつ巻き込まれるか危機感しかないですね。
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