夏川草介さんの「スピノザの診察室」を読みました。涙なくしては読み続けることは難しかったです。少しだけ紹介するとともに相関図も載せておきます。
■大学病院と地方病院
大学病院にいた時の最大の検討課題は、目の前にある病気をどうやって治療するかという点であった。癌の切除や、結石の除去について、用いる器具の種類や、そのストラチジー(戦略)を様々に議論したものであったが、それを突き詰めれば方法論でしかない。
しかし今哲郎が見つめる医療は、方法を問うているのではない。行動の是非そのものを問いかてくる。
食事を摂れなくなった患者にどこまで点滴をするのか。癌の終末期の患者に、どんな言葉をかければよいのか。認知症の患者に癌が見つかったとして、切除に行くべきか、見守るべきか。
そこには、治療、回復、退院といったわかりやすい筋道は用意されていない。
<略>
最先端の医療現場は、成功すれば賞賛と脚光を浴びて栄光の道が開けるが、失敗すれば、たちまち避難と批判にさらされ、悪くすれば訴訟や地位のはく奪から、人生そのものを失うことになりかねない世界なのである。
一方、野に下った哲郎が目にした現場も、気楽なものではない。答えのない場所で死と向き合う。一言で言えば混とんとしている。
かつて哲郎が追い求めた「完璧な戦略」や「最新のメス」が、命の終着点では何の意味もなさない。その残酷で静かな事実に、胸が締め付けられます。
大学病院という「光と影」の戦場を離れ、彼がたどり着いたのは、正解も賞賛も存在しない**「混沌」**という名の現場でした。しかし、効率や技術を剥ぎ取った先に残る「この人に何をすべきか」という問いこそが、医療の、そして人間としての本質なのではないでしょうか。
栄光の道を捨て、答えのない暗闇で患者の隣に座り続ける哲郎の姿は、敗北ではなく、「真に命を救うとは何か」を見出そうとする崇高な覚悟を感じさせ、深く心を揺さぶられます。
■スピノザ
スピノザは不思議な人物でしてね。けして長くない一生のうちに歴史に残るような大著を書き上げておきながら、著作の先鋭さゆえに生涯にわたって多くの避難や迫害にさらされていました。結局、哲学の表舞台に出てくることはありませんでしたが、亡くなる直前まで執筆は続けていたようです。民家の片隅で、レンズ磨きの仕事をしながらね。
高度な技術と集中力を要する職人技ですよ。片手間でできる作業じゃありません。しかしスピノザの磨いたレンズは、曇りひとつない見事なものだったそうです。
スピノザは哲学者なんですよね。びっくりしました。

相関図でも書いていますが、「おおきに 先生」って言葉に涙が止まりませんでした。
若い人は真っすぐなんですよね。
それが正しいとは思わなくなるのも、私が歳をとったからなんでしょうね。
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