砥上裕將さんの「一線の湖」を読みました。「線は、僕を描く」の続編ですね。
感動した文章を少しだけ紹介させていただきます。
■良いところ
誰かのすごく良いところは、実は欠点のように見えるものの中に隠れているって、
大きな可能性は簡単に見て取れるようなところには、隠れていないんだって。それは
子供たちの中では大きすぎるから。あなたが子供に向き合う姿を見て、先生がそう言
っていたことを思い出したんです。
仕事もそうですが、仕事できないけど人としてはいい人多いですよね。
仕事できない=ダメ人間
って決めつけないで、その人のペースでゆっくり教えていかないとですね。
もう50歳のおっちゃんに伸びしろはあるのかな?
■目覚める
ある段階に来れば、必ず起こることですが、弟子は師と自分を試すために小さな反
発を始めます。
それは弟子の成長でもあり、師の器量を試される機会にもなるのです。
<略>
彼女(千瑛)が湖山賞を獲るに値する絵師になったのは、あなた(青山)に出会っ
たからです。技術ではなく、心でものを見、世界や水墨の持っている素直な美しさと
人生を重ねることができる姿勢……。それを学ぶことによってはじめて、習得し研鑽
してきた画技を生かすことができたのです。そんなに素晴らしい技術があっても、そ
れを生かす心がなければ意味がない。器そのものが大切なわけではない。器に何を注
ぐかが大切なのです。
<略>
技は所詮、器にすぎません。私は器を磨き続けていただけでした。完璧なものに用
はない、そう言われました。
<略>
湖山会を離れた後は、世界を見て回りました。ヨーロッパに渡り、美術館を巡り、
景勝地を巡り、さまざまな人と会い、これまで目にしたことのない現実の中で、描く
ことを忘れるために歩き続けました。けれども、進めば進むほど、焦りを感じ始めて
いました。当たり前のことです。探すべき場所を最初から間違っているのですから。
海外旅行を繰り返して、世界を見て旅をしても、大切なものに自分から目を逸らし続
けていれば、最も重要な場所にたどり着けないのです。あなたも、湖峰先生も、湖山
先生も、誰も世界を旅して絵を描いたわけではない。外の世界を探したわけではな
い。むしろ、反対の場所を探したからこそ、たどり着くことができた。
そんなあなたが、私と同じような状況に入りつつあることを、あの揮毫会の放送を
見て思いました。私とは追求する方向は違いますが、筆をおく時期だと思いました。
不思議なもので、自分自身ではわからないのに、他人の同じような状況は容易く見て
とれます。どんな言葉も、誰からの言葉もきっと届かないだろうから、言葉は何一つ
書かずに手紙を書きました。
青:いただいたハガキを見たとき、すぐに意味は分からなかったけれど、気持ちが少
しだけ軽くなったことを覚えています。自分の問題から少しだけ視線を逸らせることを……
絵とは、本来そういうものだと思います。ほんの少し視線を引き、心を傾ければ、
深く大きく答えてくれる。そして、それは時に言葉よりも大きく強く心に届く。それ
が『用』です。絵の用だと思います。心を傾ける隙間が絵には必要なのだと、ここに
来て思い至りました。少なくとも水墨画はそうです。まさに、『完璧なものには用は
ない』のです。あなたにはそもそも見えていたはずの世界です。
凡人が極めるまでの「悟りの境地」に至るには、長い長い修行や葛藤があるんです
ね。私も音楽を通じていろんなことを学びました。
今となっては、本当にありがたい時間でした。宝物です。
今は老害と言われているかもしれませんね。
私は、残り少ない会社生活に、どれだけ貢献できるか・・・。
考えたいと思います。
「極める」の世界は美しいし、前作も今作も泣きました。
ありがとうございました。
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